自分語り

考動ー考えて行動するということを心掛けたい

3月5日で25歳になりました。アラサーですよ、アラサー。
25歳なんて客観的に見てもまだまだ若いと思う年齢ですが(え、若いよね?)、アラサーって聞くともう大学生気分もすっかり抜けてしまいます。

やっぱり24歳と25歳の間には大きな隔たりがあるというか。
「何歳?」
って聞かれたときに
「24歳」と「25歳」では感じ方が全然違う気がします。

いや、24歳と25歳に大きな隔たりがあるというより、20代半ばから1歳に対する重みが増すような感じがしますね。

きっと来年も「25歳と26歳では響きが違う!」とか言ってそうです。

誕生日パーティーの様子↓

24歳は社会人になった歳

1年くらい前は学生最後の春休みを謳歌していました。
ちょうど卒業旅行にいっていたくらいの時期だったでしょうか?
24歳はフィリピンで迎えました。

たしか、フィリピンのバーで女の子にお祝いしてもらった覚えがある笑

4月からは新しい土地で社会人としての生活が幕を開けました。

入社半年間は社会人としての基礎や会社のことを学ぶ研修期間で、大学生活の延長のようなものでしたが、慣れない早起きや9時間以上の拘束時間に毎晩11時前にはベッドに入っていました。

今は配属されてそろそろ4か月が経ちますが、まだまだ業務は覚えることが多く四苦八苦しています。

お金の使い方が変わった歳

慣れないのは会社での生活だけではありません。
学生時代は手にしたことのなかったお金が毎月コンスタントに入ってきます。

食べたいものは値段を気にせず食べることができ、欲しいものは何でも手に入り、海外旅行に行くこともできるようになりました。

このように書くと、社会人1年目でどれだけ給料をもらってるんだ!?
って思われるかもしれませんが、一般的な大卒の初任給とさほど変わりません。

しかし、大学生目線でいえば毎月20万近いお金が入ってくるって凄いことだと思いませんか?

大学で勉強、あるいは研究しながらバイトするって結構大変ですよ。
週3日~4日、休日や自分の時間を削らなければとてもじゃないけど10万も稼げません。

それが社会人なら決められた時間に週5日会社へ通えば一定の給料が支給されます。
そのうえ休日は自分の時間として自由に使えます。

そう考えると大学生のころに比べたら大げさではなく好き放題にお金を使えるようになったと感じます。

学生時代は飲み代の3000円すら惜しかったのが、今では1回の飲み会で5000円~1万くらいまでは平気で払えるようになりました。

ラーメンは躊躇なくチャーシュー味玉トッピングができます。
ケンタッキーだって今までは年に数回しか食べませんでしたが、今では月1ペースで通っています。

学生のときは欲しかったけど買えなかったカメラやバイクも手に入れることができました。

体感的には金銭的自由を手に入れた気分です。
その分、貯金は一切増えていないんですけどね…

反応した歳

社会人になると新しい出会いが一気に増えました。
会社の同期がメインですが、出会いが増えれば誘いも多くなります。

知らない人との交流は刺激的で楽しかったです。
特に文系卒の同期は理系卒の僕が知らないような遊びを多く知っていて、人脈の幅も広く、話を聞いているだけで面白かったです。

とにかく同期と飲み歩くのが楽しくて、週末になれば駅近にいる同期を見つけては飲み、誘われても飲みにいき、毎晩終電コース、場合によっては朝まで飲み明かしていました。

飲み会はお金も無くなり翌日も潰れるので、時間的にも金銭的にも消耗します。
ですがそんなことは気にせず、いや、気にしないように楽しさと刺激だけを求めて遊んでいました。

25歳は考えて行動したい

まわりからは
「お金は大切だから貯金したほうが良い」
と散々言われてきました。
貯金はもとより、自己研磨のために投資することも重要です。

時間だって社会人1年目はまだまだ仕事がそれほど忙しくなく余裕があるのだから、勉強したりブログ書いたり計画的に使わなくてはいけないはずです。

ですが社会人1年目、まだまだ遊びたい歳でした。
まとまったお金を手にし、周りに反応するがまま時間とお金を注ぎ込んできました。

後悔はしていません。
飲み会に使ったお金と時間は費用対効果でいえば最悪でしたが、おかげで同期とは仲良くなれたし、ありがいたいことに遊びにもよく誘われるようになりました。

しかし、反応するばかりでは自分の成し得たいことは到底かないません。

夢を叶えるゾウのガネーシャも言っていました。

主人公に対して…

そうや。自分から与野七に働きかけるんやのうて、自分んの周囲に『反応』しとうだけなんや。親から言われて勉強して、みんながやるから受験して、みんなが就職するから就職して、上司から『これやっとけ』言われるからそれをやって、とにかく反応して、反応して、反応し続けて一生終えるんや。そんなんで、自分の人生手に入れられるわけないやんか。自分の人生手に入れとるやつらはな、全部自分で考えて計画立てて、その計画通りになるように自分から世界に働きかけていくんや。分かるか

このあとガネーシャはこう続けます。

もっと具体的に言おか。たとえばその日のうちに自分がやらなあかんことがあるとするやん。夢とか目標とか、そういうの中心に毎日の生活組み立ててったら、飲みの誘い断ってたかもしれへんやん。でも自分は『誘われたから』行ったんや。誘われた、という周囲からの働きかけに対して、反応して、流されたんや。そやろ?

まさに24歳の僕、いや24歳までの僕の人生そのものです。

流されて高校を選び、流されて大学を選び、流されて大学院に進学し、流されて今の会社に就職した。
考えているようで周りから言われたことに反応して行動しているだけでした。

その結果、悪かったかと言えばそんなことはありません。
友人にも仲間にも恵まれ、安定した会社にも入ることができました。

しかし、何かが違う。
今、この生活が一生続いてもいいのか?と問われれば自信を持って首を縦に振ることができません。

25年間、反応して生きてきたツケが回ってきたのでしょう。
自分で考えていないから、自分の人生に納得しきれていないのです。

自分は何がしたいのか。
何が自分にとっての幸せなのか。
将来、どうありたいのか。

周りの声は聞く。
ただし反応して動くのではなく、考えてから行動する。

すなわち『考動』。

25歳は考動する歳にしたいと思う誕生日でした。

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